テーマ:郷土史

奈良県・磐城村太田方の小作争議 3

 一部の歴史書では記述がある「磐城村太田方の小作争議」や地元の農民運動ですが、現在では私が調べた範囲では完全に封印されています。その当時からおよそ100年経った現在この地域は当時の面影はなくなっています。当時小作農であった人々の多くは、敗戦後自作できる土地を手に入れ、当時とは比べものにならない生活を手にいれました。  現在約100年の…
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奈良県・磐城村太田方の小作争議 2

 1928年3月15日、当時の日本共産党が全国的に躍進する中で、田中義一(軍閥)内閣が、全国1道3府27県で共産党員の自宅や労農党本部や約50ヶ所の左翼団体を家宅捜索し、1,568名を逮捕、484名を起訴する事件が起こります。奈良県においても、日本農民組合県連事務所に対して家宅捜索が行われ、全国水平社の木村京太郎さんや西光万吉さんなど7…
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奈良県の小作争議 2 

 1921年10月に北倭小作人組合が、日本農民組合(日農)に加盟して以降、1924年には日農生駒郡連合会、1925年には日農北葛城郡連合会が結成されていきます。そして、日農奈良県連合会結成。    現・葛城市疋田の正光寺【日農奈良県連の結成大会が開かれた浄土真宗興正派の寺】、伊瀬幸太郎さん【現・葛城市出身で日農の指導者で水平社の西光…
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奈良県の小作争議

 磐城村太田方だけでなく奈良県内では小作争議が頻発していたが、その主たる理由は小作料(年貢)が全国一たかい事であった。県内の地主の多くは、小作農民が収穫した米の内7割~8割も収奪する事は普通であったといわれる。さらに奈良県の場合、部落差別との関連性を見る事が必要で、地主は被差別部落に対しては小作料(年貢)を8割~9割も取る事が多かったと…
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奈良県・磐城村太田方の小作争議

 磐城村太田方。ただし現在はこの地名はない。1889年に成立した當麻村と磐城村は、1956年に合併して北葛城郡當麻村、1966年には當麻町、2004年には南隣の北葛城郡新庄町と合併して葛城市となっている。現在は葛城市太田となっている。  農業県の奈良県では、「明治」以降、小作争議が県下各地で散発的に闘われていました。その多くの理由…
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