奈良県の小作争議 2 

 1921年10月に北倭小作人組合が、日本農民組合(日農)に加盟して以降、1924年には日農生駒郡連合会、1925年には日農北葛城郡連合会が結成されていきます。そして、日農奈良県連合会結成。    現・葛城市疋田の正光寺【日農奈良県連の結成大会が開かれた浄土真宗興正派の寺】、伊瀬幸太郎さん【現・葛城市出身で日農の指導者で水平社の西光…
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奈良県の小作争議

 磐城村太田方だけでなく奈良県内では小作争議が頻発していたが、その主たる理由は小作料(年貢)が全国一たかい事であった。県内の地主の多くは、小作農民が収穫した米の内7割~8割も収奪する事は普通であったといわれる。さらに奈良県の場合、部落差別との関連性を見る事が必要で、地主は被差別部落に対しては小作料(年貢)を8割~9割も取る事が多かったと…
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奈良県・磐城村太田方の小作争議

 磐城村太田方。ただし現在はこの地名はない。1889年に成立した當麻村と磐城村は、1956年に合併して北葛城郡當麻村、1966年には當麻町、2004年には南隣の北葛城郡新庄町と合併して葛城市となっている。現在は葛城市太田となっている。  農業県の奈良県では、「明治」以降、小作争議が県下各地で散発的に闘われていました。その多くの理由…
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郷土史=地元史にこだわる。

 今から2年半ほどまえに、私はある人とのメールのやりとりの中でこんな事を書いていた。 【『奈良』、私の生まれ育った地です。58年間ぐらい。奈良でも南の方なので、まだまだ古くさい習わしが多く、イヤになることも多々ありますが、奈良に生まれ育った事が今の自分自身を作ってきたと考えると良かったのかという所です。(2009年9月10日 木曜…
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