メモ・日本帝国主義の侵略史・はじめに2

 このシリーズをはじめる前に、前回「はじめに」を書きました。本来ならば、今回はアイヌ民族が受けてきた侵略と差別・同化の歴史を何回かにわけて書き上げるつもりでした。しかし残念ながら、今は何一つ書く気力が失われています。新年を間近に控えてるというのに何故か憂鬱です。たとえ、このブログがそう大した閲覧者がなくてもそんな憂鬱な状態の中で、わけのわからん事を書く事はできません。だから「はじめに2」として、このボク自身の課題・つまり帝国主義国に生きるボク自身のありようを綴りたいと思います。

 ボク自身は、ボクの親や祖父やその又先の世代が行ってきた生き様には決して賛成しません。
 それは、この天皇制を頂点とした帝国主義国「日本」を多かれ少なかれ支えてきた生き様だったし、現に旧帝国陸軍の一兵士として出征しているし、親戚の中にはボルネオで戦死した人もいるし、「満蒙開拓団」として中国東北部へいった人もいるし、その行為自身がアジア人民に多くの犠牲を強いてきたのです。この事は何回も繰り返し強調しなければならず、その子孫として自らが存在しているということも、何回も忘れる事なく心に刻まねばと思っています。
 ボクは、まるで他人事のように、かつての侵略戦争責任に付いて論じ批判して、あたかも何事かをなしたかのような態度はとりたくはありません。かつて侵略戦争に出征した人や銃後の守りとして徴用労働させられた人たちからは、あの当時は辛かった・戦争に反対するなどという事はできなかったという話を聞く事があります。しかし、それ以上に侵略を受けたアジアの人々にとっては、どれほど辛く地獄の日々だった事を片時も忘れてはならんと思っています。
 ボクはその当時侵略戦争に出征した一兵士の立場に自らを置き、アジアの人民に銃口を向けるのか!それとも「アカ」「非国民」といわれようが自国帝国主義支配者に銃口を向けるのか!このギリギリの選択の中で全てを判断したいと思っています。たしかに、現在の日常生活の中では、このようなギリギリの選択をしなければならないという事はほとんどありません。しかし、一つ一つの自らの日常生活での様々な選択の中に、ギリギリの選択を決断できる契機があると思っています。何回も何回も誤りや失敗をおかしつつも、多くの人々の批判や助言を受けつつ鈍感になった感性を研ぎ澄ませながらすすむしかありません。

 何だか、こんな短い文章を書いてるうちに、また進みはじめる気力がでてきました。

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