独り言

アクセスカウンタ

zoom RSS もうすぐ、あれから15年。

<<   作成日時 : 2010/01/10 22:28   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

 1995年1月17日午前5時46分、この時の記憶はまだ鮮明に残っている。仕事の始まる時間が朝6時30分なので、朝起きていつものように菓子パンとコーヒーの簡単な朝食を食べていたとき、いきなり地面が激しく揺れはじめた。あー地震だと直感した。震源地からは相当離れた某県に住んでいるのだが、その揺れは今まで経験した事のないものだった。机の上に置いていたコーヒーカップが揺れて、今にもコーヒーがこぼれ出そうになる。書棚がグラグラ揺れて本が飛び出そうになる。家のみんなもネコも犬も、私の「地震や!」という大声と激しい揺れに、飛び起こされた。しばらくして大きな揺れはおさまり、興奮しつつ職場に向かった。職場のテレビをつけると、神戸・淡路地方で、大きな地震が発生したとのニュースばかりだ。まだこの時点では、どれくらいの規模の地震か、そしてどの程度の被害かはわからなかった。しかし、序々に阪神・淡路大震災の規模の大きさがわかってきた。

 それから、数日ほどして被災者が多くでている、と被災地の救援を要請するマスコミ報道や、労働団体や市民団体も独自に被災地救援活動が取り組まれるようになった。私はこの時、某労組の某支部・某役員をしていた。私は被災地に行って、何らかの被災地救援活動をしたいと思って、有志で或いは個人で現地に何回も向かった。
 そして、某支部でも組織的な被災地救援活動を訴えた事があった。しかし、現地に行くことは危険だ、それよりも支援カンパや支援物資を送ることが大事だ、との意見が大勢だった。良い意味で受け取ると、【組織的な判断】だったのかも知れない。しかし、悪い意味で受け取ると、【身近にパンを求める人がいても、組織的判断を優先し、取りあえずは見捨てる】ことが、某支部の考えだったようだ。 
 そんな意見を無視して、それ以後も何回か、被災地救援活動に入った。個人的だからある時は、YMCA系の救援団体であったり、市民団体だったり、合同労組であったり、私にとってはどこの団体であろうが、そんなことはどうでもよかった。自己満足だと思われようが、そんなことはどうでもよかった。

 後から、知った事だが、ソウル・フラワー・モノノケ・サミットという音楽グループは、大震災が発生して早い時期に現地に入り、音楽で被災者を支援したという。それ以後も彼、彼女たちは何回も支援コンサートを被災地で続けている。


http://www.youtube.com/watch?v=2bytd_A7eH0

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
URL(任意)
本 文
もうすぐ、あれから15年。 独り言/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる