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zoom RSS メモ・日本帝国主義の侵略史、はじめに2。そして本題へ

<<   作成日時 : 2010/01/06 18:27   >>

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 1869年(明2)「明治維新」以降、維新政府は天皇制を頂点にすえた帝国主義国家として自らを成立させていきます。帝国主義は他国を侵略し植民地化するがゆえに帝国主義として成立します。まず、日帝はアイヌモシリを帝国主義国家の統治化におきます。
【このメモを書くにあたっては、「水平運動史研究−民族差別批判」キム・チョンミ著、「アイヌ民族の歴史」榎森進著、「アイヌ民族抵抗史−アイヌ共和国への胎動」新谷行著、「アイヌ民族と日本人」菊池勇夫著、「生活の中の植民地主義」水野直樹編、「日本の先住民・アイヌ」野村義一・山川力・手島武雄共著、などを乱読させてもらいつつ、できるだけ自分の言葉(帝国主義本国に生きる労働者として自らが自らを糾すもの)になるようにメモ書きしました、ただいいわけがましくなりますが、研究家やインテリではないので不充分な部分はあります。】


千島列島には、もともと、アイヌと呼ばれる人々が住んでいました。
江戸時代、北海道唯一の藩として隆盛を誇った松前藩の「新羅之記録」によれば、1615年(元和元年)から1621年(元和7年)頃、メナシ地方(北海道根室地方)のアイヌの人々が、100隻近い舟に鷲の羽やラッコの毛皮などを積み込み、松前へ来て交易を営んでいたと記録されています。
1644年(正保元年)、幕府は、諸藩から提出させた地図に基づいて、日本の全領土を収めた「正保御国絵図」を作りました。この時、松前藩が幕府に献上した自藩領地図には、「クナシリ」「エトロホ」「ウルフ」など39の島々が、その名を付して描かれています。また、1715年(正徳5年)、松前藩主は、幕府への上申書の中で「北海道本島、千島列島、カムチャツカ、樺太は松前藩領で自分が統治している。これらの地域には、アイヌ人がそれぞれ住み酋長がいるが総支配は松前藩が行っている。」と報告しています。
松前藩は、はじめは厚岸(あっけし)を中心にして交易を行い、キリタップや根室のノツカマップへと交易の場所を広げていきました。1754年(宝暦4年)には、国後島に「場所」を開き、択捉島、得撫(うるっぷ)島にまで及んで交易を行っていました。
【独立行政法人北方領土問題対策協会ホームページより】

日本の基本的立場
(1)北方領土は、ロシアによる不法占拠が続いていますが、日本固有の領土であり、この点については例えば米国政府も一貫して日本の立場を支持しています。政府は、北方四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結するという基本的方針に基づいて、ロシア政府との間で強い意思をもって交渉を行っています。

(2)北方領土問題の解決に当たって、我が国としては、1)北方領土の日本への帰属が確認されるのであれば、実際の返還の時期及び態様については、柔軟に対応する、2)北方領土に現在居住しているロシア人住民については、その人権、利益及び希望は、北方領土返還後も十分尊重していくこととしています。

(3)我が国固有の領土である北方領土に対するロシアによる不法占拠が続いている状況の中で、第三国の民間人が当該地域で経済活動を行うことを含め、北方領土においてあたかもロシア側の「管轄権」に服したかのごとき行為を行うこと、または、あたかも北方領土に対するロシアの「管轄権」を前提としたかのごとき行為を行うこと等は、北方領土問題に対する我が国の立場と相容れず、容認できません。
 したがって、日本国政府は、広く日本国民に対して、1989年(平成元年)の閣議了解で、北方領土問題の解決までの間、ロシアの不法占拠の下で北方領土に入域することを行わないよう要請しています。

(4)また、政府は、第三国国民がロシアの査証を取得した上で北方四島へ入域する、または第三国企業が北方領土において経済活動を行っているという情報に接した場合、従来から、しかるべく事実関係を確認の上、申入れを行ってきています。
【外務省ホームページより】

長い引用になりましたが、江戸幕藩体制化の松前藩が、北海道本島、千島列島、カムチャツカ、樺太の地を統治していたという歴史の偽造を元に、現在の北方領土(わが国固有の領土)が旧ソ連・ロシアにより不法占拠されているとして『北方領土返還運動』の根拠としているものです。いちいち、こんな歴史偽造に付き合ってる暇はありませんが、私たち労働者をまがりなりにも代表する??連合指導部が、多くの組合員を動員し「平和と友好を希求する労働組合の立場」?から『北方領土返還運動』の中心を担っています。この『北方領土返還運動』なるものには、かつて東北地方から北海道本島・カラフトに至ったアイヌ民族の生存と尊厳を平然と蹂躙していった日本帝国主義の侵略・内国民化・皇民化の歴史的事実を反省する内容は一つもありません。

 アイヌ民族に対する和人による支配は、1869年(明2)には、明治政府は、すでにアイヌ民族が住む地を植民地化します。この当時まだ明治政府軍は、徳川幕府軍と内戦を繰り広げており、最終的に北海道(蝦夷)を舞台にして闘いが繰り広げられ、榎本武楊率いる幕府軍が函館で降伏した1869年7月以降、明治政府軍は蝦夷開拓事業(アイヌモシリの強奪)に入っていきます。1872年には「地所規則」を打ち出し、北海道の土地すべてに所有区分を明らかにさせます。そもそも、アイヌ民族は狩猟・漁猟を中心にする民族であり、土地はカムイ(神)のものであり土地所有という意識はなく自然とともに生きる民族でありました。そのため、アイヌ民族が暮らしていた土地は政府によって取り上げられ国有地にされていきます。屯田兵や移民の開拓地として、アイヌ民族が生活していた土地が国家によって簒奪されていきますが、それは同時に明治政府が帝国主義国家として成立していくはじまりでもあったのです。それと同時に同化・皇民化政策を進めていきます。アイヌ民族の伝統・習俗を「未開」ないしは「非文明的」なものとみなし、アイヌ語を奪いさり日本語を強制していきます。1899年以後は「土人学校」を作り、アイヌの子供たちからアイヌの文化を消し去り、「日本文化」「日本語」「日本教育」を強制していくのです。「土人学校」という表現自体アイヌに対する差別表現そのものですが、そこで行われていた教育によってアイヌに対する差別も拡大していくのです。
アイヌ民族に対する「生きる大地の強奪」「アイヌ文化の消滅」支配は、ほぼ同時期から行われていく琉球支配、そしてそれ以降の台湾・朝鮮の植民地化、中国東北部での満州国のでっちあげ、そしてアジア・太平洋全域に帝国主義戦争を遂行していく出発点となっていくのです。1930年から本格化する日本帝国主義のアジア侵略は、明治維新政府が作り上げたアイヌ民族に対する侵略・支配を起点にしてはじまっていき、私たちが日本帝国主義と闘う時の原点と捉える必要があるのではないでしょうか。

次回はもっと具体的なアイヌ民族の抵抗の歴史などを振り返りながら深めていきたいと思います。

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